2014年8月24日日曜日

運命の人 山崎豊子

運命の人という本を読んだ。

ジャーナリストが歩んだ人生。

頂点と奈落を体験して、行き着いた先は、自分の天命を知るということだった。


主人公弓成亮太は、新聞記者だ。

トップ官僚に通じ、得た情報から、国の動きを新聞記事として国民に知らしめる。「新聞は社会の木鐸たれ」という言葉の通り、強い正義感と使命感に満ち満ちた生活を送っていた。
新聞記者は、官庁、政界の人脈からいろいろと情報を引出して記事にする。新聞記者は様々な人の情報の媒介者となる。情報提供者にとっても、新聞記者と接触することにより、自分のかかわりあう立場の人たちの考えや情報を得る手段としているようだ。新聞記者から情報を聞き出すために出せる範囲での情報のリークを行っている。つまり、情報のギブアンドテーク関係にあるわけだ。
新聞記者にはいくつかルールがある。
まず、記事にする内容は、確実に事実であること。
情報は、新聞記事にする以外の目的には使用しないこと。
そして、情報提供者は秘匿する、絶対に不利な立場に追い込まないようにすること。


弓成は、沖縄の返還問題に関し、日本政府とアメリカ政府の間の不公平な資金の流れをすっぱ抜こうと努力していた。そこで、高級官僚の秘書から、通常は入手できない政府間の通信資料を入手する。
情報提供者の秘匿、そして情報のとりあつかいには配慮しながらも、確実に日本政府の欺瞞をあばこうとするうちに、与党の相手方に相談を持ちかけてしまう。
そして、その情報がなんら配慮されずに公開されてしまい、時の為政者に、情報を政党間闘争に利用したと恨まれ、裁判沙汰へと進展していく。
情報提供者である秘書は、その後、国家公務員を懲戒免職され、また、高級官僚の将来もつぶしてしまい、弓成は恨まれるのみならず、自責の念に堪えない日々をすごす。
1審、2審を経て、情報提供者である秘書、そして弓成自身も有罪確定。
弓成は退職し、実家の事業を引き継ぐも、時代の流れに対応できずに破綻。
傷心のまま、向かった先は、沖縄だった。

時はたち、あるとき、沖縄の終戦時の話を聞くこととなり、そこでふつふつと、記者としての使命感に筆を走らせるようになる。
そして、ある研究者により、沖縄返還に関する資金移動に対して、弓成が暴いた通りの事実が、アメリカの公文書館において発見されたという記事が社会に報道された。
弓成の無罪が立証された形となったわけだ。
弓成は、それまでに蓄積した沖縄の戦中戦後の悲劇を社会に伝えるため、今後活動を行っていく決意を固める。




という内容だ。
山崎豊子により、非常に生き生きと文章がつづられる。記者という仕事が非常に魅力的につづられている。

また、沖縄の戦中戦後の悲劇は、並々ならぬものだが、その描写がよくすごい。


若い時でも、年をとっても、読んでおくべき本だと思う。